第2日目 2011年9月24日(土) 11:00~18:00 会場:瞑想の郷、空想の館2階 研修室

3人の講師から、いのちの紡ぎなおしによる新たな暮らし方を構築していくための視座を提供していただき、その上で太田住職のお導きで、参加者皆でこれまでを根源的に振り返りながら、今後を展望する深い祈りの時間を持って、午後からの分科会に繋げた。

<1> 「海 ・ 森からの日本再生:漁師は海を恨まない(仮)」 畠山重篤

・2ヶ月間海からいのちが消えたように見えたが、今や蘇った!津波の後、海が掃除されて、海の恵みが蘇るといわれてきたが、そのとおりになっている。
・そうした海の復活は、この20年以上行ってきた漁師が山に木を植え、森を蘇らせる活動と無縁ではない。
・その活動のエッセンスは、森から川を通じて芳醇な鉄分が海に流れ食物連鎖によって植物性プランクトン、動物性プランクトンが増えて魚たちが増えていくという、鉄の連鎖によることがわかってきた。地球は巨大な鉄の惑星である。
・また、世界三大漁場の一つ三陸の恵みも、実はアムール川流域の豊かな森林による腐葉土に入っている鉄分が、海流によって供給されていることによることも分かった。
・そうした地球の海を巡る歴史や地域連環が、この瞑想の郷の眼前に広がる森林を見ながら掴み取ることができる。

<2> 「農的暮らしの現代的意味(仮)」 山崎 隆

・農的暮らしとは静かで祈りある暮らしといえるが、その原点は、衣食住の自給にある。
・これが崩れたのは1960年代からであるが、この象徴が1956年の農業基本方法の制定で、そこでは、農業も経済から考えるという思想が入ったことからである。
・本来農業はいのちを育む生業(なりわい)であるのに、経済至上主義にまい進してしまった。
・そうした半世紀を経れば、やはり人間社会はおかしくなる。人間が自然から離れすぎてしまったことが原因である以上、それを今こそ見直す必要がある。

<3> 新たな暮らし方とは?祈りある暮らし(仮)」 内山 節

・時代は未来を考えるためにも戻り始めたように思える。
・伝統的な社会観とは何かと考えると、社会・世間は生者だけでなく、自然とそして死者とのきずなの中で校正されていると言えよう。
・その意味で、自然への祈りと共に、死者への祈り、死んだ人の思いを受け継いで、新しい社会を創っていくという約束が重要な意味を持つと思う。それが供養であり、生者の覚悟であり、言わば縦軸のきずなである。
・転換期には、少々いんちきとも言われかねない行動や思想の転換によって、言わばきわどさも内包しつつ進んでいくように思う。
・横と縦のつながりを確認しつつ、新しい暮らし方を紡ぎなおしていこう。

<4> 瞑想 太田浩史

 ・太田住職の導きによって、各自思い思いの形で、20分程度の瞑想を実施した。